2005年07月08日

アウトロー見聞録 第七回(寄稿:前原龍彦)

 久しぶり、前原です。ここのところ、ようやく平穏な日々を迎えていたので、更新が滞ってます。

 これは流石に申し訳ないと思い、今日、取材をしてきました。ある韓国人男性(兵役済み)に、向こう式の喧嘩の仕方を訊いてきました。


 基本は顔面パンチで、タイマンという風習は無いそうで。基本的に、団体戦で、相手が半殺しなって、誰かが止めに入るまでやるという。やはり、面子を重んじているからだろうか?

 武器は使わない。テコンドの影響か、足は使うが頭突きはあまり使わない。武器も普通はあまり使わない。

 面白いのが、眼鏡をかけてる奴は殴らないそうだ。それは、眼鏡が無くなれば、物が見えないため、殺したのと同じ事になるからだ、という。へー。 


 喧嘩というのは、国民性が出るものだと思う。例えば、日本ではグーパンを顔に放つ事がタブー視されている。私の兄弟分も、凄まじい左が得意だったが、どうしても当てる際に抵抗感がぬぐえないと言う。

 グーよりパー。それよりもつかみや投げを多く用いるのは、やはり独特なのではないだろうか? 「いきなり喧嘩で殴りかかってくるような奴はいない」と思ってる喧嘩好きは、意外に多い。まずは襟首の掴み合いからがエチケットだと思っている人たちだ。

 ただこれはあくまで日本人同士の話で、アメリカ人などはグーパンよりパーをタブー視する。上から見下した、侮辱の攻撃だと言うわけだ。

 また、日本人にとっては挨拶代わりの、首絞めも嫌う。つまり、「本当に殺す」という恐れがあるからのようだ。縛り首という風習のためだろうか? 一度、道場破りに行ったアメリカのジムで、裸絞めにて勝利したところ、「お前、首絞めるなよ」と言われた事がある。

 また、投げ技に関しても、信仰が強い。日本人がボクサーを不良的と感じるように、彼等はレスラーや、フットボール選手のような人を、不良的、暴力的と感じるようなのだ。


 私見だが、これはローマ帝国よりの影響ではないだろうか?

 つまり、ローマ文明の伝播により、ヨーロッパでは早くから道が舗装されてきた。そこでレスリングを使われれば、要は石でぶん殴られるのと同じな訳だ。

 逆に、泥道だった日本では、相手にアザをこしらえる当身ではなく、転ばせるだけの投げ技が重視されたのではなかろうか?

 また、視界の問題も考えられる。足場が悪く、開けた空間の少ない日本では、突発的な喧嘩は狭い場所で行われる事も多かったろう。居合などが発生したのもその辺の影響があるのではなかろうか。

 対して、ヨーロッパなどでは飛び道具が盛んだった。不思議な事に、日本では「飛び道具は卑怯ナリ」と言って、手裏剣術にも刀と同じ間合いで使うべしという教えがあるんだよね。


 実に興味深いお話だと思う。
posted by 久遠 at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年05月15日

アウトロー見聞録 第六回(寄稿:前原龍彦)

 さて今回は、さまざまなダメージの話。

 中国の友人に、「中国拳法しない?」と訊いたら、こんな答えが返ってきた。

「拳法は内力があるから、内傷を負うので怖い」

 武侠小説と呼ばれる拳法作品の中で、そういう常識があるのだ。内側の力を発揮して、体内にダメージを与える。その時、直接打たれた外面には、痛みはまったく無いが、最悪生涯治らない状態になるという。

 ウソのような話だが、この内力、実在するのだ。一部の中国拳法では公開され、教伝されている。さらに言うと、この前原も少しだけできる。

 もちろん、私の内力はまだ開発中で、威力自体は充分にはない。だが、いわゆる空手式のパンチとは、ダメージの質がまったく違うのだ。


 内力は、まるで走ってくるスクーターにぶつかったような物で、「あ、ぶつかった」と思った後、フワっ、と体全体がもっていかれるのだ。まるで後ろから引っ張られたように。

 そのため、事故と同じく首がゆすられて鞭打ちのようになる。さらに力が強いと、脊椎が損傷する。これが生涯治らない内傷だ。

 より上手く打つと、全身ではなく、内側だけが引っ張られる。その時、まるで内部にゼリーがあるような感じがして、それが激しく波打つ。自分の内壁にゼリーがぶつかり、ビシャッ、と冷たい痛みが走り、引き裂かれたように苦しい。

 今まで、散々痛い目を見てきたが、この痛さは格別だ。


 ちなみに通常の力、内力に対する外力で殴られると、打たれたところが腫れたり、骨が折れたりする。

 ボディを打たれると、内臓が硬直してよじれるようになり、ひどく苦しい。おなかが痛い時のあの差し込みだ。これに対しては、無理矢理に、体を引き伸ばすのが利く。一瞬辛いが、凝りを伸ばすようにすると、瞬時に楽になる。実撃系の格闘家は、試合中にこれが出来る。

 頭だとこうは行かない。重いのをもらうと、一瞬に意識が無くなる。その時、視界が黒くなる場合と、白くなる場合があるが、この違いの理由はわからない。


 ちなみに、私が肉体でもらったダメージのベスト1は、股間への頭突きだ。

 これがまた、見事に急所にヒットした。みるみる睾丸が腫れあがる。

 幸い、稽古中だからまだ良かった。即時にタップしてうずくまった。ここでただ、無抵抗に苦しむことが許されるのは素人までだ。本職は、ここからが訓練。どんなに辛い状況でも、いや、あればこそ、自力でなんとかしなければならない。

 私は見る見る巨大化しながら、体の中へと入り込もうとする睾丸を、自分でひっつかんだ。なにせ今しも毛細血管がちぎれて腫れているのだ、触るだけで激痛だ。 

 それを我慢して、思い切り引っ掴まないといけない。そして外に伸ばして体内に入ってしまわないようにするのだ。吐き気がするほど苦しいが、中に入ってしまうとまっさきに吐いてしまいそうだ。

 睾丸の腫れ、引きむしる痛み、吐き気、それらと戦いながら、私はなんとか自力蘇生に至る事が出来た。

 痛みと怪我への対応力、それこそがある意味、もっとも効果的な自己防衛なのかもしれない。 


 ちなみに、うちの弟子は、この経験を繰り返す内に、自分の意志で睾丸を体内にしまうことができるようになった。考えてみれば、セックスの時はそうなのだから、耳を動かすようにそれも可能なのかもしれない。

 だが、そのために、睾丸を何度も腫らしたい人間、いるだろうか? ある空手家は、股間に蹴りをもらって神経が切れ、不能になってしまったそうだが。ブルルルル。
posted by 久遠 at 16:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年05月07日

アウトロー見聞録 第五回(寄稿:前原龍彦)

 じつは私が働いているのは、日本の外国だ。

 国内にいくつかある中国の一つで、やや堅気がちのバイトをしている。

 少し前、中国の半日デモがあり、バイト先の事務所の近くにある中国銀行に弾丸が撃ち込まれた。

 それから街じゅうで警察官がウロウロするようになり、路上駐車にも往生する始末だった。

 各店舗に警官が警戒を呼びかけ、私も店中のトイレや通路を、爆弾が無いか探させられる羽目になった。


 そんな中、ある店の店長さんが言った。

「爆弾でも仕掛けられないかなあ」

 ワクワクするじゃん。ということらしい。

 なるほど。確かに、そうなんだろうな、と思う。

 先日、若造どもともめられた時の中年男性は、「相手がナイフを出したら、そりゃーもう本気出すよ」と言っていた。

 花見の席で出会った肉体労働の若造が、私に言った。「先生に挑戦させて欲しい」

 分かってない。両方、分かってない。

 爆弾は、爆発してから無かったことにする事は出来ない。ナイフだって、気付くのは背中を刺されてからだろう。

 二人とも、ブルース・ウィリスのように、目の前で自分を狙った攻撃が失敗し、叫び声を上げながらなんとか反撃ができると思っている。そういう事じゃないのだ。

 いや、確かに、そういうケースもある。若い頃、ナイフで一対一の決闘をした事が何度かある。それはフェアだったし、逃げる事も降参する事も出来た。

 だが、本当の暴力はそういう物じゃない。ゲームじゃない。災害なのだ。

 同僚が刺された時は、「いきなり殴られたと思った」そうだ。反射的に相手を突き飛ばし、腹を見るとナイフが刺さっていた。

 みんな、映画に影響されすぎだ。自分が安全だと信じて疑わない。きっと、暴力なんてのは、フィクションの中だけの出来事だからなんだろう。

 今まで、空手家や柔道家、総合格闘家、色々な人間と戦って来た。みんな、自分が暴力について学んでいると思っていた。

 ある人は、敗北後に言った。「だって、知らなかったんだもん」

 そう、何も知らないのだ。ほんとうの暴力は、格闘技やVシネマとは違う。相手に自分の存在を好きなように侵略され尽くすのだ。

 私に挑んできた肉体労働の若者は、私のポケットにナイフが二つ入っている事は想像していただろうか? 締め落としてから財布を取る事までは想像していただろうか? 落とされたことで失禁した状態でズボンを脱がされ、それを写メールに撮られる事は? 携帯から知人に累が及ぶことは? 私が怪我をしたと言って脅迫し、家族のケツの毛までむしることは?

 誰も分かってない。私は武術家で、実戦をしている。それは、マンガや格闘技とは違うのだ。 
posted by 久遠 at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年04月02日

アウトロー見聞録 第四回(寄稿:前原龍彦)

 前原です。

 最近、日雇いのキャンペーン要員のバイトをしている。

 その関係で、色々な場所に行くのだが、中には行った先でとんでも無いことに会うこともある。


 たまたまその日、私は挙動不審の男性客を発見してしまった。ここで元万引きハンターの経験が、オートマチックで働いてしまった。

 物陰から犯行を現認。店の制服警備員に引き渡した。

 店側はなれていないらしく、対応マニュアルが出来ておらず、戸惑いながら警察を呼んだ。

 私はといえば、元の身分を明かしたせいもあってか事情聴取に立ち会うように言われ、一時間ばかりそこに釘付けになった。なにぶんみんな慣れていないので、うまく供述することが出来ないのだ。


 なんとかその後の処理を警察に任せて、バイトに戻ったのが金曜日の午後。二日後の月曜日の事だ、元いた探偵社から電話がかかってきたのは。

 万引きハンターに復帰しないか? そういう電話だった。

 恐るべしは探偵社の情報網だ。大手のモールだったからそこに元の同僚がいたのか、あるいは制服警備会社との連絡が取れていたのか、それとも警察関係のリークがあるのか、たった数日の間に自分の行動が知られていた。

 もし確認しても、「知らないよ?」ととぼけられるだろう。

 だが間に受けるもんか。こっちは、名前や住所を偽った犯人を、会社がどうやってだか半日ほどで調べ上げ、家にまで押しかけるのを何件も見てるのだ。


 まったく、個人情報を隠し切ることなんて、現代社会では不可能なのかもしれないな。
posted by 久遠 at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年03月30日

アウトロー交戦記 第八回(寄稿:前原龍彦)

 前原です。実は昨夜、若造に絡まれて一戦交えました。まったく、なんだって私の回りはこんな事ばかりなのだろうと思う。


 繁華街近くの中学校の前でツレの二人と立ち話をしていたのだが、どうも暗くて、私の姿が若く見えたらしい。まぁ、私は普段からいかにもピラチンのような格好をしているから、きっと相手は同世代の奴が縄張りでうろついてると思ったのだろう。

「なにしてんの?」とお決まりのセリフを言いながら、まっすぐに向かってくる。B、とは聞こえのいい形の、HIPHOP魂のかけらもなさそうな、ファッションだけの古典的なヤンキ―だった。

 こっちはツレの二人を守ろうと、迎え撃って胸で相手を止めた。これは喧嘩の序盤に用いられるテクニックだ。一種のマン・ツー・マン・ディフェンスで、相手の動きをコントロールする。こっちのツレは、柔道初段で真面目な好青年のAさんと、拳法上手の40代、Bさんだ。

 二人とも武道経験者なのだが、私は端からそんなものが役に立つとは思ってない。武術や格闘技だけでは、喧嘩の役には立たないのだ。プロとして自分がこの「案件」を鎮圧するという義務感があった。

 私はディフェンス状態から、相手を追っ払う作戦を開始した。とにかくまず、威圧して、その上で必要なら力の差を示せば、大抵はカタがつく。場所は相手のロコ(地元)だから、さっさと処理した方がいい。

 だが、ここでBさんが余計なことをしてしまった。聞き流してればいい相手の鳴き声、「何してんの?」「あんた誰?」「どっからきたの?」なんてのを、バカ正直に答え始めてしまったのだ。

 私の背中で、Bさんはぺらぺらと素性を話す。こりゃいけない。

 そうしている間に向こうの仲間がやってきてしまった。ざっと五人追加と言うところか。私はそっちに狙いをつけた。ヤンキ―小僧は放って、後列の連中に向かっていく。

 案の定、後ろの有象無象は、突っ込んでいった身内に動揺していた。そりゃそうだろう。本職丸出しの大人に喧嘩売りたい訳が無い。

「酔っ払ってるんです、すいません」ってのを聞いたとき、強きで押せば散らせる相手だと分かった。

 自分でも恥ずかしいくらいのわかりやすい手段なんだが、墨を振り回して自分がプロである事を告げ、ガキどもを萎縮させた。まあ、「おめーらじゃあ話になんねぇから親つれてこい、テメーのお袋若いか? 土下座させてオレの×××咥えさせてやる」みたいな事を言ったわけだ。「悪い警官」っていうベタな作戦だ。悪く振舞うことで相手が引き下がりやすくしてやったわけだ。

 薄汚いやり方だが、効果はあった。「ほんとすいません、すぐに連れて帰りますんで」なんて言い出すんで、後はあのヤンキ―小僧を引き渡せば終わりだ。

 小僧を捕まえに行くと、Bさんとつかみ合いをしていた。素直に拳法家だって言ったBさんに、小僧が勝負しろと迫っているところだった。お決まりのパターンだ。

 後ろから隙だらけの小僧を捕まえて、びびってる奴の仲間に引き渡そうとしたんだが、なぜだかBさんが小僧の腕を掴んで離さない。

「ほら、こいつ仲間に引き渡しますから。離して!」

 私が言っても離さない。仲いいのか?

 何度か同じ事を言ってやっと引き離すと、今度は小僧がまたBさんに襲い掛かろうとする。お決まりのパターンだ。

 相手のパターンを踏ませるのが一番悪い、きっちりぶっ潰してやらないと。

 私は小僧を腰からアスファルトに落とした。いや、不可抗力でバランスを崩してたまたまそうなっただけですよ、もちろん。

 そのまま完全に制圧し、上から押さえた。いや、酔っ払いによる暴行を静止しただけですよ。民間人による逮捕権の範疇内だ。たまたま腕は関節を極めていたけど、それもまあ、範疇内だろう。

 当然、どこまでやれば腕ってのが折れるのか、私はみっちり分かってる。余談だが、腕が折れると骨が折れるは違う。関節技の場合は、脱臼させて腕や足を折る。骨は外れるだけで無傷だ。

 靭帯を軽く伸ばし、繊維を引き千切った程度で私は止めておいた。

「充分だろ? なぁ、もう充分だろうが?」 

 優しくヤンキ―小僧を諭して上げる。小僧は苦悶の顔で、無抵抗に体を縮めている。どうやら痛くても声が出ないタイプらしい。ちなみに、酒の匂いはしないし、顔も白かった。クスリかもしれない。 

 この時、私の意識は背中側にあった。すでに決まっている関節技に力は要らない。むしろ、外野が手を出せば一発だけそれを受け止める必要があるからだ。

 一発喰らったらすぐに小僧の腕を折って、技を解除しないとならない。次の相手に取り掛からねばならないからだ。

 だが、私を突き飛ばしたのは、Bさんだった。

「折れちゃうよ」

 その声でわかった。どうやら、悪い警官作戦が通じてなかったらしい。Bさんからの信頼は無かったみたいだ。

 私は小僧を離した。

 小僧は元気一杯に立ち上がった。こっちに向かってこようと行きまくが、さっきのが痛かったらしく、こっちが近づくと仲間の後ろにさりげなくステップアウトする。

「もう行ってくださいよ」

 と懇願する小僧の連れたち。見れば追加メンバーも来ている。

 ガッと脅かしてパッとやってサッと帰る。これが喧嘩のパターンだ。自分らの事ばっかり考えるのは、素人だ。スポーツでもゲームでもない。完全勝利なんてわかりやすい事はないのだ。相手も内心では終らせたがってる、ここで収めるのがいい手だろう。

 目で奴らを威嚇しながら、私はAさんを連れて離脱した。とにかく、ツレの安全を確保したかった。Bさんは、まあ、大人だからこの間に散ってくれるだろう、と思った。

 Aさんと歩き出すと、小僧はこっちに着いてきながら、挑発を繰り返す。すぐ前で仲間が一人、止めてくれてるのを意識したグッジョブだ。決して1.5メートル以内にはこない上に、じきにグダグダになって立ち去ってった。

 Aさんを安全なところに連れてったら、さあ解散だ、と思ったんだが、彼、どうもBさんの様子が気になったらしい。仕方なく私が一人でバイクに乗って見に行く事にした。

 メット被ってライトで光を浴びせ走りすぎれば、気付かれる事はないから安心だ。

 で、さっきの場所に戻ってみると……Bさんが十対一でもめていた。

 ヤルでなく、解散するでなく、もみ合って口喧嘩していた。……なんなんだ?

 喧嘩の場所で、どっちが正しいとかそんな事に意味はない。どう終らせるかだけの話じゃないんだろうか? それとも、そういうのが好きなのか?

 キンパチ先生状態になって慕われているBさんだが、ほっておくのも酷だ、仕方なく警察を呼んださ。

 したら、すでにBさんから通報が行っていたらしい。やれやれ。

 どうやらBさん、恐ろしく喧嘩下手だったらしい。腕や足なんか折れたって繋がる。スポーツでもやってるっていうんなら、自業自得で諦めてもらおう。でも、卒業シーズンの浮かれたガキがポリス沙汰になるよりは、病院送りの方がずっとよくないかい? 

 今までの経験上、喧嘩馴れしてないツレがいると、こっちも向こうもひどい目に会う。チームプレイってのは信頼が大切だ。

 これを読んでいる諸兄は、突発的な喧嘩で、バカな完全決着なんざを求めないで、双方の被害を最小限に押さえるべく、手術を行うような気持ちを持って修羅場には挑んでいただきたい。
posted by 久遠 at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月24日

アウトロー武芸帖 第二回(寄稿:前原龍彦)

 前原です。皿を洗って暮らしています。

 BY前原ヒロシ


 いや、堅気へのシフトが上手くいってなくってね。半年後には成功する事を期待したい。


 さて、この間、お世話になっている中国武術の散打大会に行った。

 散打というのは俗に中国の国技とも言われていて、中国文学にもタマに出てきていたと記憶する。要は拳法の実戦試合だ。ドラゴン・ボールに出てきた天下一武闘会のモデルだといえば分かりやすいかな。

 主催によってルールは多少変わるのだけど、おおむねヘッドギアやグローブをつけての、突き、蹴り、投げまでが有効だと思うといい。寝技や肘膝は反則。

 私は、大会の運営や後片付けを手伝ったのだけど、一緒にやっていた主宰団体の若いのが、どうも試合見てなんか受け止めちゃったらしく、次は出場したいといいだした。


 二日後、彼を鍛える実戦練習をしていたのだが、話の流れがおかしくなってきた。

 道場主の先生が、「あなた、試合でませんか?」などと言い出したのだ。それもフリーでではない。道場の代表としてという事だろう。

「いや、絶対優勝できますよ」などというのだが、いや、そうだろう。そうかもしれない。

 私は今まで、自衛隊の徒手格闘術教範に参加したり、公共機関内の道場で指導をしたり、散々とルールなしの野試合や、バーリ・トゥードの試合をこなし、さらにやばい修羅場をくぐってきたのだ。パンチなんか少しも怖くない。だからリラックスして動けるのだ。

 得意の肘打ち、膝蹴り、寝技は封印されているが、精神的な物や経験が、ただの選手とはまったく違う。戦って勝っても、正直、あまり意味が無い……。


 ここでいいたいのは、戦いにおいては、内面的な物が大切だという事だ。一発いいのもらっちゃって体が動かなくなったり、アクシデントで怪我しちゃう以外は、ほとんど心が勝敗に響いていると思う。体より心が先に機能障害を起こして、動けなくなってしまうのだ。

 友人が、ぼこぼこにされたという事件が、私の周りには二つある。両方ともやられたのは若いし、体もいい。なのに、突然上司から殴られ、無抵抗なままに一方的に殴られたというのだ。

 双方、共に三十発は殴られたという。そして二人とも、まったくダメージを負っていない。

 顔は腫れたらしいが、骨が砕けたとかそういうレベルじゃない。

 ここで気になる事が二つある。一つは、それだけ一方的にやりながら、致命傷を与えられない相手の弱さだ。私ならその間に確実に処理できている。

 もう一つは、そんな弱い攻撃力の相手に対して、二人とも成す術を持っていなかったという事だ。

 何が起きたのか分からなかった。と言うのが、口を揃えたような二人の言葉だ。

 なぜだろう? 目の前に日頃から悪質な仕事仲間がいて、そいつが怒って殴ってくる。そのことの、どこに予測できない要素があるのだろう?

 彼等はニュースも新聞も見ないのだろうか? 突然襲われた事がなくても、そういう事が起きうるという事を、見聞きした事がないのだろうか?

 突発的に一発やられるなら仕方ない。だが、二人とも、長時間に渡って一方的にやられつづけたというのだ。目の前でそれだけの時間に渡って起こっているというのに、なぜいつまでも何が起きているのかわからないのだろうか?

 これが、人間の心の弱さだ。この、専門用語ではこの状態を「スタン」という。攻撃を受けると人間の神経はショックを受け、一時麻痺してしまうのだ。

 パンチのキレやキックの力ではなくて、私はこのスタンで戦っている。フィリピンの喧嘩武術、カリのセオリーだ。相手の神経に攻撃を加え、まともに戦えなくするのだ。


 もし、どこかで通り魔的な暴力にあったら、スタンを意識して欲しい。実戦の最大のポイントはスタントディフェンスだ。決してパニックに陥ったりしてはならない。相手を霍乱し、困惑させるのだ。

 そうすれば、肉体の弱みはある程度補える。

 げんに昨日、久しぶりに戦った私の体は、あちこちが悲鳴を上げている。一発ももらったわけじゃないのに。


 拙者……選手引退してから、15キロ太りましたから。切腹!!

 BY前原ニューヨーク
posted by 久遠 at 16:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月22日

アウトロー交戦記 第七回(寄稿:前原龍彦)

 さて、前原だ。ここのところ、実は堅気になりたくて仕方ない。

 とは言え、自分が行けるところでまともに稼げるところといえば、ガテン系資格を活かした荷役辺りなんだが、これが渋かった。


 某大手酒メーカーの倉庫で働いていたのだが、トラックをタラップに直結できるように吹きっ晒しになっているので、冬場の風がものすごく寒い。

 仕事自体はどうにかなっても、雰囲気のよさも格別だ。同僚は、金の話しかしない卑屈なリストラ組と、歯が溶けちゃった若い連中。

 管理側はそんなシュードラチームを完全な低脳として正当に扱い、大学生がバイトに来ると学歴コンプレックスなのかヒステリーを起こしっぱなしで一日怒鳴っている。

 ワキガと腐った歯茎のニオイに満ちた地上の楽園は、不景気で前日に急に仕事がなくなったりし始めたので、華麗に脱出して来てしまった。

 今度はオフィス系の仕事にと思ったんだが、軒並み面接に落ちる。まあ仕方ないか。

 おまけに、その帰り道にまたアウトロー仕事の依頼が入る。脅し取られた20万の回収に、リクルートスーツで奔走する。

 やれやれ。私を堅気にしない力が働いているに違いない。

 さて、そんな訳で、今回は腐った歯茎の思い出、以前に出会った薬物中毒者との戦いの話をしよう。


 あれはまだ、中型免許を取る前、スクーターで遊びまわっていた頃だ。信号待ちをしていると、車体がなんだか前に流れる。

 おかしいな? とそのまま確認するうちに、それが後ろに着いたスクーターが押しているせいだと分かった。50CCの原付に乗っているのは、二人組の若いの。それぞれ口にコーヒーのカンをくわえてニヤニヤ笑っている。

 まっとうな皆さんはご存知だろうか? これは当時はやっていたトリップのしかただ。トルエンかシンナーを入れたカンを咥えて、立ち上る香気でラリラリになりながら国道を飛ばす。

 俗に、薬物中毒者と喧嘩をしてはいけないという。力の加減が出来ないし、こちらの攻撃に対しても、力の加減で受け止めないからだそうだ。おまけに麻酔効果で痛みにもひるまない。

 つまり、ちょっとやそっとの攻撃は効かないが、それ以上やるとあっさり大怪我をするという性質の悪い相手なのだ。転倒したまま頭でも打たれて死なれた日には、大損すること受けあいだ。

 だが、若かった私は、売られた喧嘩は必ず買ってた。反射的にバイクを降りた。

 後に、道をふさいだ暴走族を後ろから煽って泣かせる私も、この時はまだバイクによる戦闘という概念が無かった。

 スタンドを立てている間に、相手は方向転換し、赤信号を無視して走り去って行ってしまった。

 すっかりドジをこかされた私。すぐにスクーターにまたがり直すが、いかんせん青信号まで待たないと。

 信号が変わるなり、全力で追っかける。もう、何法をなんのために守っているのかわかりゃしない。

 逃げる敵、追う私。史上最も道交法を守ったカーチェイスの結果、とうとう私は敵を補足した。

 相手のバイクの左に併走、接近するなり、運転手の顔面に思い切り右の拳を振付けた。

 カンの底に鉄拳炸裂! 人中をかち上げられた相手は仰け反り、コントロールを失ったスクーターは失速。転倒するのを尻目に走り去る私。

 の、はずだった。

 が、失速したのは私だった。尻目に走りさるのは向こう。


 バイクというのは、ハンドル右に着いている、アクセルで速度がコントロールされている。つまり、右手を離してしまうと、恐ろしい勢いでエンジンブレーキが働き、たちまち停止してしまうのだ。

 空ぶった右手を伸ばしたまま、国道上に停止する私のスクーター。まるでウィンカーが壊れて右折指示を出しているみたいだ。

 ラリラリスクーターは、たちまち見えなくなってしまった。

 後に聞いた話によると、バイクでの戦いは相手の右に位置するのが基本だそうだ。そこから相手の右手を狙う。あるいは、ハンドル右にあるキルスイッチを押して、エンジンを切ってしまうのがいいらしい。

 あれから大分立つ。今ではその手も何度か使ったし、左側からは足を伸ばして、相手のスタンドを下ろす技もマスターした。これをやれば、安全装置がかかってエンジンが止まるのだ。


 だから諸君。決してその手を離してはいけない。
posted by 久遠 at 14:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月19日

アウトロー交戦記 第六回(寄稿:前原龍彦)

 よう、前原だ。テレビをつけりゃあ嫌なニュースばっかりだな。


 暴力ってのがもし、一方的に用いられた場合、そいつは常に生きてることその物を汚される。

 だがもし、暴力に抵抗できる暴力を持ったなら、やっぱり人生は汚れる気がする。つまり生き延びるなら、汚れていくしかねぇんじゃあねえか?

 必要最低限の暴力を咀嚼できるならそれでいい。だが、どうやら、暴力には人をひきつける魔力があるらしい。


 制服来た警備員が居たと思ってくれ。

 そうだ。で、そいつが、私と同じ現場に居た。ガラの悪い地域に建ってるホームセンターだ。チンケな話だよ。

 ケダモノ同士が出会っちまったらやる事は決まってる。見えない振りして通り過ぎるか、それとも白黒つけるかよ。

 結局、やりあうことになった。相手は少林寺やら太極拳やら長年やってるって話だ。

 それでも、残念だが、本物の柔に勝てる奴ってのぁいねぇんだ。

 決着つけるのに選んだ三階の踊り場で、奴ぁ逆様にぶら下がる事になった。

「どれだけ威力を出す力を得ようが、どれだけ打たれ強くなろうが、三階から落ちるのにはおよばない」

 心の中ぁ、カラッポだ。


 なぁ、もし、世の中で、誰も自分の出したクイズに答えられなくなったと思って見てくれ。

 ひでぇ孤独だ。

 ずいぶん昔、地下格闘技のチャンピオンだった事がある。紐で首締めたって、物で殴ったってありだ。ただ、一対一で男が向かい合うってルールさえ守りゃあ。

 引退したのは、相手がみんな逃げちまったからだ。誰ももう、向かって来なくなった。病院に運ばれて、記憶喪失で治療される奴等を見たら、当然かもしれねぇ。


 結局、その警備員は技を教えてくれって言い出した。

「そんな事してどうなるんだよ?」

 同僚の制服が言った。

「弱いから、強くなりたいんですよ」

 だから言った。

「そんな事で人間、強くなったりゃしやせんよ。バカな了見を持つと、後悔の元ですよ」


 もし人生を一言で言うなら、「やれやれ」だ。

(※2004年11月25日分より転載)
posted by 久遠 at 15:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月17日

アウトロー交戦記 第五回(寄稿:前原龍彦)

 いや、実に半年以上ぶりの更新になる。その間、何をしていたか? 戦っていたのだ。

 相変らず、万引きハンターこと私服保安員をしていたのだが、この仕事、実に色々な敵が居る。目の前の盗人Sだけじゃあないのだ。

 例えばマニュアルには、災害時の誘導が指導されている。恐らく、営業の人がこう言っているのだろう。「うちの隊員がいれば、地震や火事の対策にもなりますよ」

 そして、本当に起きてしまったのだ、火事が。


 今回の敵は、火事だ。これは怖い。なにせ防御も攻撃も効かないのだ。出来るのは回避する事だけ。

 だが、それでも戦わないとならない人間がいる。カート・ラッセルと私だ。

 なにせ、今回燃えたのは立体駐車場にある自動車だ。何がどうなっているのかは分からない。だが、とにかく私が店舗三階の休憩室から出た処で、向かいになる建物の中で、ハイエースが爆発したのだ。

 反射的に走った。なにせ運転席にはドライバーが乗っていたのだ。

 まずは制服警備員詰め所に走り、事態を報告。これで彼らが何とかしてくれるはずだ。

 と思ったのもつかの間、もうもうと上がる白煙を見上げて、ニヤニヤするばかりでなんの役にもたちゃしない。

 えぇい、時間が無いわ! 走ったね。すぐさま立体駐車場に乗り込んだんだけど、階段からフロアに上がった途端、物凄い煙だ。真っ白。まるで霧だ。

 どこに車があるかさえ分からない煙幕の中、それでも車の方に飛び込んだ。

 途端に視界が消失した。すごい、他の煙とはまったく密度が違うのだ。誇張抜きで、伸ばした腕の先が見えない。

 更に、見る見る酸素がなくなってくる。これは凄かった。灰の中に酸素があれば大丈夫だと思って、空気を沢山吸い込んでから飛びこんだんだが、まったく無関係に脳が勝手に酸欠になってゆくのだ。

 恐らく、一酸化炭素とか何かガスの類が、体内に侵入して脳を犯していっているのだろう。真っ白から真っ黒に視界がブラックアウトしてゆく。そう、かってしったる、締められて落ちるときの感覚だ。

 やばい! とっさに逃げる事も考えたが、目の前には、運転席で倒れている人の姿が浮かぶ。

 真っ白な視界。辺りからはボンボンと段発的に爆発音。そして消えていく酸素。ちょっとした地獄だ。

 そんな絶体絶命の中、頭に浮かんだのは、小学生の時の火災訓練。押さない、かけない、喋らない。そして口にハンカチを当てて、姿勢を低くしましょう。

 とっさにシャツを脱ぎ、口元に当てた。これが驚くほど効いた。有毒ガスが入ってこなくなったのだ。

 おかげで何とか、被災者を救う事ができた。良かった良かった。


 次の日、たっぷり毒を吸ったせいかひどく気分が悪かったが、とりあえずは良かった。

 ちなみに、報告をした後の会社の対応は、「火事? そんなんで二次災害になったら労災が大変だろうが。ほっとけよ!」


 経営者のみなさーーーん!! 制服も私服も、警備員なんて火事の時には役にたちませんよーーーーーーー!!!!!

(※2004年11月21日分より転載)
posted by 久遠 at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月15日

アウトロー通信号外(寄稿:前原龍彦)

 さて、恐れていた事が現実になってしまった。寝屋川の教諭連続襲撃事件の事だ。

 まず、このサイト内の。私の寄稿を見て欲しい。

アウトロー見聞禄 第三回

 すでに、この手の事件に関しては、ずいぶん前から発生が予測されていたはずだ。

 報道をによると、少年は正面から学校に侵入、男性教諭を一人襲撃、ついで職員室に向かい、そこで女性を二人襲撃。その後、窓辺でタバコを吸っている処を、110番通報で駆けつけた警官に捕捉されたという。

 現在、多くの番組や記事で、動機や社会の歪みが取り上げられている。根本的な解明は必要不可欠だろう。

 だが、私は、食うか食われるかの現場の人間。一アウトローとして思わざるを得ない。

 一体、捕捉までの間、他の職員は何をしていたのだろうか? 自分のホームで、明確な侵略行為が行われている間、大の大人が指を咥えて警察を待っていたのだろうか?

 不信感を隠し切れない。子供たちを預かり、その後の人生に重要である教育を担当する人間が、そんな事でいいのだろうか?


 人間は、口頭よりも行動に真実が宿ると思う。彼ら小学校教員たちは、今回、身をもって何を教育してしまったのだろうか? 緊急事態にはボサッと無抵抗になりなさい? 

 ぶっちゃけ、学校は無力感を叩き込む場所だ。その真価が明確になったというべきだろう。

 職員室なら、いくらでも投げるべき椅子や、捲きかける消火器があっただろう。それが、目の前の、包丁を持った子供に無抵抗だったのだ。

 そんな事だから、ぶちきれた子供が、たかが調理器具一つ持っただけで、一時的にでも万能感を満たせると勘違いするのだ。


 確かに、今の世の中は、いかに金を稼ぎ、体裁をつくろうかが全てと言ってもいい。人間の本質や、誠意、心胆などは、社会生活において邪魔にしかならない。

 そう言った思想は、全て小学校から刷り込まれ始める。

 生命体として、それっておかしくないか? まず生きる事。そのための基礎的な事が、あまりにもおざなりになっている。

 腰抜けの口先人間が、どれだけ器用に立ち居振舞っても、緊急事態にはなんの役にもたたない。

 だからこそ、我々のような暴力の専門家が世の中に寄生しているのだが、よく考えて欲しい。本当に生きるってのはどういう事なのか。


 どんな偉そうな人間も、気取った人間も、ステータスがある人間も、我々に締め上げられると、金切り声をだし、土下座し、頼むから許してくれと泣き叫ぶ。まるで乳幼児だ。

 我々だって、法の犯し方がある。拘束して監禁の上の行為ではない。相手が暴れて走れば逃げられるのに、それより土下座を選ぶのだ。

 そういう人間ばかりを量産する社会。もう一度よく考えて欲しい。


 一人一人と社会の空虚さが、こういう事件の発生と無関係ではあるまい。
posted by 久遠 at 14:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月12日

アウトロー武芸帖 第一回(寄稿:前原龍彦)

 目だ! 目を狙え!!


 やあ、度々の更新の遅れ申し訳ない。

 実は沖縄に少しばかり旅立っていた。

 バイクで本島を一周したりして見聞を広めたんだが、それにしても空手が盛んなのを実感した。

 街を歩けば空手、観光地で空手、テレビのローカルCMでは空手。


 残念ながら道場破りする体力をなくしてしまった今の私が言うのもなんだが、素直な感想として、空手は強くない。

 武術としてはともかく、現在格闘技の中では空手が仕合で他流に勝つというのは決して多くないケースだ。

 島津藩が侵略して、中華の辺境、琉球王国を支配、刀狩りを行なったために空手は発展したと言う。

 中国の拳法を取り入れ、独自に発展した形だと言うが同時に、「空手は実戦を経ていない」という有名空手師範の言葉もある。

 明治に入って本土に渡り、柔術家の改変を経て空手道と化した訳だが、その後もまた、寸止め派、防具派、フルコンタクト派、グローブ派、果てはバーリ・トゥード派などに分かれている。

 これは、もしかして、空手はまだ進化の途中なのではないだろうか? タイ式やボクシングを取り入れ、順調に進化しているように思える。

 ある意味、順調なスポーツ格闘技としての進化だ。


 だが、武術としてはどうだろうか? 本土に渡って以降、空手は本当に強くなっているのだろうか?

 イタズラな伝統礼賛ではないけれど、古流の空手(琉球手)が弱いとは、どうしても思えないのだ。

 なにしろ、琉球王国は中華皇帝の庇護領なのだ。つまりは中国拳法だ。

 誤解されがちだが、本当の中国拳法は弱くない。飛んだり跳ねたりもしないし無駄にパタパタ手足を振り回したりもしない。

 型は身体能力と技を練るための練習の一つ。実際は鍛え上げた必殺の一撃を地味に放ってくる。

 カマキリのまねをする蟷螂拳も、あのカマの手は地味に目玉や喉仏をつついてくるのだ。もし、ボクサーのジャブばりの速さで目を突いて来たら、一体誰がよけられるだろう?

 ジャブの速さは目に見えないと言うが、文字通りそれきり目が見えなくなるのだ。少なくとも、しばらくは。

 そう、古流の空手でも、全ての突きは眼球を狙い、全ての蹴りは股間を狙っていると言う。現代格闘技の常識に侵されると、ローキックや掌低打ちが実践的だと勘違いしがちだが、それこそ世間知らずもいいところだ。


 本当の実戦は、古伝の型にある気がする。

 柔術の型は全て目打ちから始まり、視界を失った相手を投げ飛ばしては押さえつける。合気道の型もまた、元は目打ちがあったのを省いたのだそうだ。

 実戦を考えるなら、狙いは目だ。小手を捻ったりする護身術に惑わされるな、本当は目だ! いざとなったら、ひたすらのラッシュで相手の目を殴りつけろ!

 いや、私も何度も殴られたし殴った。アレをもらうと、本当に万華鏡のように相手が綺麗にぶれて分身して見えるのだ。

 そうやって距離感を奪ったところで、金的蹴り、さらなる眼球攻撃のラッシュだ。

 目への攻撃を受けると、人間は本能的に瞼を閉じて守ろうとする。そこもねらい目だ。目をつぶっている相手からは、金的蹴りを取るのも逃げるのも容易なはずだ、少なくとも目が見える相手よりは。

 そういう生理反応を利用する所に、武術の実戦性、そして深みがあると思うのだよ、私は。

(※2004年4月15日分より転載)
posted by 久遠 at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月10日

アウトロー見聞録 第三回(寄稿:前原龍彦)

 刃物に気をつけろ!


 さて、前原は実は、ここのところ私服保安員をやっている。

 災害時の誘導に、救急時の救助と仕事は色々あるが、その実、多くの仕事は一点に集中している。

 万引き犯の逮捕。

 それだ。いわば万引きGメンなどといわれてる奴だ。

 余談ではあるが、このGメンって言葉、元はFBIを差してガバメント・メンの略。「政府の人たち」って意味なので、「万引きGメン」なんてのはおかしな言葉だ。まぁ、万引きハンターあたりで呼んでくれるとありがたい。

 現場は毎日変わるんだが、おおむねホームセンターなんかが多い。

 で、その現場で取られるのは大体、職人が使うナットやボルト、ヤンキー(語源はヤンチャから来ているとか。いわゆる不良)やB(ブレイク・ボーイの略。元はブレイクダンサーの事。転じてギャングの意で通りがち)が取ってくドライバーにニッパ。

 ドライバーを取ってく奴は、捕まえると大体前科がある。スクーターや自販機をそれで開ける訳だ。ニッパも同様。こっちは、CD屋でセーファを壊すのにも使える。

 処が、ある一定の現場でだけ、えらく狙われる物がある。なにか? 繰り小刀だ。

 説明すると、これは刺身包丁様の、細い刃の小刀なんだけど、こんな物を一体どうするのか?

 刺すのだ。


 これが良くなくなる現場ってのは、外国人が多くいる地域。で、これを持ってくのは大体コリアン系のヤンキーだ。

 半島では伝統的に、刺身包丁や繰り小刀のような、錐刀と呼ばれる刃物がヤカラモノの必携アイテムだったらしい。

 アメリカではシースナイフ、イタリアではスティレットと呼ばれるナイフ、そして少し前の日本人がバタフライナイフを持ったように、彼等はコレで武装する。細い刃はあっさりと腹筋に入っていくそうで、一説によるとあの力道山を刺したのもこの手の刃物だと言う。

 私が若い頃は、折りたたみナイフだった。それでよく、いきがった連中と切りあった物だ。私の手には今でもその頃の傷がたくさんある。

 確かに切れ味は鋭いが、刃自体が厚いので、制服の上から切りつけても、おおむね胴体に傷がつくようなことは無い。

 私は、カリと言うバタフライナイフを使う武器術の使い手なので言うが、バタフライナイフもまた人を殺しにくい。刃が厚すぎるし、切れ味も悪い。あれは、喧嘩で相手の手足を傷つけ、痛めつけるための道具だ。

 バタフライナイフで人が死ぬ事件があったが、その事件には、どれも「メッタ刺し」という言葉がついていたはずだ。そう。ナマクラだからこそ、メッタ刺しにする事で被害が出たのだ。

 逆に、本当に鋭い刃で急所を突いたならそんなに刺す必要は無い。規制し、取り締まるべきはバタフライナイフではなく、いかれた人間その物だ。

 むしろ、バタフライナイフが取り締まられた事で、より危険な武器が帯刀する可能性が私には気になる。


 コリアンの若いのを皮切りに、繰り小刀が広まったらどうなる? 武器として造られたバタフライと違って、工具とされているので誰にでも安価に買える。

 お調子者が一回刺しただけで、刃はあっさりと内蔵に達する。


「錐状の刃物で高校生殺人」そんな事件が近々ニュースになる気がして仕方がないのだ。

(※2004年3月20日分より転載)
posted by 久遠 at 17:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年02月09日

アウトロー交戦記 第四回(寄稿:前原龍彦)

 さて、某コングロマリッド式空手道場に乗り込んでいったときのてん末を今回。


 前回道場破りに行った空手道場、武器術はもちろん、キックボクシングから柔術のクラスまである大規模組織だった。

 前回の後、私は別の支部も回ってみた。同じ道場とは言え、支部長ごとに個性がある。女性や子供が多いところもあれば、いかにもな感じの男部屋ってとこもある。

 女性の指導員がいた道場では「突きの型が変」と言う感覚的な注意をされたことがある。その後、全日本選手の若い支部長をボコボコにしてからは、一切目を合わせてくれなかった。


 一番苦戦して、かつ面白かったのは、武闘派ぞろいの支部だった。

 すでにそこの道場を回って顔を知られていた私、最初に当ってきたのは、いかにも俊敏な、高校三年は甲子園を目差してましたってような黒帯だった。

 ルールはフルコンスタイル。顔面無しのスパーだ。

 このルール、実は意外に小さい空手家が強い。投げも顔面パンチも無しで、チョコチョコつっつきあうような場合、でかい方が翻弄される事すらある。

 これはなぜかって言うと、接近戦の戦いだからだ。ちっちゃい奴の手足が届く距離だと、でかい方は懐に入られてるんで、相手を打てない。なんという初歩的なトリック!!

 得てして、このルールに慣れてない人間が相手の顔を殴っちゃうのは、その苛立ちがあるのだろう。

 で私も見事にその例にはまった。当時、私は172センチで62キロ。でかくは無いが、腕が長かった。私の前腕は膝につくほど長い。接近戦で相手を突こうとすると……は! 相手の後ろに拳がある。。。

 だもんであたしゃメタメタに打たれる蹴られる。もっとも、前面の筋肉で受けてるので突きは効かない。でも蹴りがね、下段をペシペシ繰り返されるといいかげん効いてくる。

 で、どうしたかって言うと膝だ。前足の膝で胃袋を突き刺した。これで一撃。


 危きを脱した私の次の相手は、白帯を閉めたアンコ型だった。で、これがどうやら隠し玉だったらしい。実はこの人、最近道場に来た柔道二段。いわば用心棒みたいな使い方だ。

 彼とは防具付きの顔面ルールだ。この場合、でかくて力がある奴は強い。一発一発が必殺の威力を持ってる。うっかりカウンターが顔に入れば、首がグキだ。

 そこで私が使ったのは、トラッピングというテクニックだ。これは相手の手に張り付いて、相手からは打てないようにし、自分は打つ。そして隙を突いて相手の両腕を絡めちゃったりするテクニックだ。

 このある種のハメ技、最初の一回目は大抵の人間が対処できない。とまどってる間に滅多打ちだ。

 処が防具ありの上、相手がでかいと、いくら殴っても相手は前に出てくる。殴りも殴ったりでも、中々効かないんだこれが。

 とはいえこのままでは悪いと思ったらしく、いきなり相手は奥襟を掴んで腰を入れてきた。明らかに投げだ。

 とっさに相手の肩にタップをしたが、止まる気配はない。これが道場破りの難しいところで、いくら約束とは違うと言っても、相手に負けたところで終わられたらお終いなのだ。

 床にはマットも畳もしいてない。頭から行けばイチコロの硬さだ。

 私は跳んだ。自分からわざと投げられたのだ。

 そして受身を取り、すばやく立ち上がって相手に向かって掛かって行った。

 ここで時間切れ。「投げは効かなかったよ」のアピールで痛み訳か。


 その後の最後。最初に倒した奴の兄貴分が、怒りに震えた顔で出てきた。防具の中で。

 そしてその防具は、キャッチャーマスクのような、金属製の物だった。。。

 いや、こりゃあまいったさ。そりゃあ殴れないよ。結局最後は逃げ切るだけに終わったのでした。

 道場破りらしいてん末でしたとさ。

(※2004年3月9日分より転載)
posted by 久遠 at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年01月30日

アウトロー交戦記 第三回(寄稿:前原龍彦)

 更新が、大変遅れて申し訳ない。前原です。

 さて、この間、何をしていたかと言うと、これがお見合い行為などしていたり。

 少し面白いと思ったので描いてみると、きっかけは私にお客を運んでくる若い女の子から、数ヶ月前に連絡があった事にさかのぼる。

「あのさ、今の会社の同僚が、ストーカーになやんでいるんだけど」

 彼女は私がこういう仕事をしている事を知っている数少ない人間で、勤め先のAV製作会社の女性や、悪い男に引っ掛かっている女子大生を私の所に連れてくる。前原十字軍の受付みたいなもんだ。

 とりあえず、私は事情を聞き、見積もり予算を先方に伝えてくれるように頼む。ここはこの手の事件で、もっとも重要なところだ。大抵の依頼は、この段階で、消える。

 いや、消すために言っているようなもんだ。正直、多くのケースは、依頼人に問題があったり、本気じゃなかったりする事が多い。だから少し高いけど、払えなくは無いくらいの金額を請求する事で、相手の本気度を計り、こちらとの信頼関係を築こうとしている。

 もし依頼人に被害を与えてるとやらの相手を、こっそり車道に突き落としたりしてから、あとからぺらぺら喋られても困るし、「やっぱいいや」程度の困り方をしている相手のために、そこまでやる気は無い。

 それに、自分自身へのルールでもある。いくら自分が倫理的に許せないと思っても、個人的な感情で誰かを侵す訳にはいかない。あくまで被害者から依頼があって、それを実行する、という体裁を踏まないと、自分自身が何かを見失ってしまう。

「自分に関係ない悪を、探し出してやっつける」と言うのは、もはや私が考える義じゃあない。ただの八つ当たりだ。

 まぁ、その時のケースも、金額を言って以来音沙汰なし。また、いつものパターンか、と忘れかけてた頃、「私の友達で、彼氏欲しいって言ってる人がいるんだけど、会わない?」って事になったわけだ。

「へぇ、どんな人?」

「こないだの人」

 おいおい、それって、踏み倒しって奴じゃないのかい? こんな考え方をするのは、心がねじくれてる証拠か。

 結局、事前に私の写真を見た彼女は「やっぱいいや」ってな訳で、お見合いは立ち消え。ほら、顔面初段。

 で、そんな眼力が今までに対戦してきた中から、面白い事例を挙げてみよう。


1・VS空手師範

 それは私がまだ、修行のために道場破りなんかをしてた頃のお話。

 道場破りって言っても、伝統的なやり方がある。まずは頭を下げて、「体験させてください」と言って練習に参加し、お互いを探った後で、スパーリングの時間になって、「では、腕前を見せてもらおう」と心の中で思いながら、ニコニコ笑って「練習試合」をするのだ。

 さて、この場合、お互いに有利な点と不利な点がある。攻め手からすれば、相手の手の内を探れている事は有利。相手が大人数であり、相手のルールで仕合わなければならない事は不利だ。

 その道場の空手は、幾つかの形式で試合をするタイプの物で、いわゆる新空手などといわれる、キックボクシングの団体に加盟している流派だった。

 だから、スパーリングにも何段階かのルールがある。寸止め、ライト・コンタクト、顔面のみ寸止めのフルコンタクト、ヘッドギアやグローブをつけての顔面ありルール。

 始めにやったのは、ライトコンタクトのスパーなんだけど、これが実に厄介だ。どこが悩みのタネかと言うと、効いても無い突きや、当りもしない蹴りが、相手の中では「一本」って事になってしまうことだ。

 最悪、一方的に思い込みが強い方がこの手合わせでは勝った気持になれる。

 相手の師範はその手のタイプだったらしく、自信満々で手足を振り回している。

 やむなし、私は相手が突いてくれば引っ掛けて崩し、足を出すたびに軸足を払ってはひっくり返した。

 尻餅を突かせて上から極めの突き。これを繰り返して試合終了。終わったときに相手は言った物。

「いや、かなりやっているようですが、もっと技の種類を増やせば強くなるでしょう」

 いやいや、対面を保つのも大変なようで。


 今回、少し近況を長く書き過ぎてしまった。次の仕合については、また次回。

(※2004年2月26日分より転載)
posted by 久遠 at 22:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年01月26日

アウトロー交戦記 第二回(寄稿:前原龍彦)

 幼少の頃から、空手に親しんできた私だったけど、ある日、競技化された空手に漠然と疑問を抱くようになった。俗に寸止めと言われるルールではスピードが重視されるけれど、それでは本当の強さが分からないだろうと思った。

 自分よりずっと小さい子供に、手先でヒョイっと軽い突きを受けても、本当に負けるだろうか? 自分よりデカイのに対して、本当に自分の正拳は利くのだろうか? 子供なりの真実への目覚めって処だ。

 その後、幾つかの流派の柔術や拳法、格闘技を学んでいったのも、真実への探究心がさせたことだった。

 柔術が一番実戦的である、と思ったのは20と少しの頃だ。ただし、これには幾つかの条件が付く。

1・実戦的な修行を怠らない事。
2・技術を理論的に研究し続ける事。
3・実践していない事を信じないこと。

 この三つは、多くの武術や格闘技に欠けている部分だから、それを守れば実践的になるのは当然だったかもしれない。ただ、投げや当身という特定の技術にかたよらず、武器から活法に至るまでを内包している柔術というのは、上記の三つを行ないやすかったとは思う。

 また、スポーツされていないのもいい所だった。試合に勝とうという目先の意識がないため、実戦の事だけを考えられたからだ。相手が自分より大きかったら、数が多かったら、そして何より、自分とは全く違う流派の遣い手だったら、という事を追求できる。

 では、そのスポーツ化されていない柔術で、どうやって実戦経験を積むか。するんだよ、実戦を。

 ありていなパターンは、お互いに腕に憶えのある人間同士出あったケースだ。「ちょっと試してみようじゃないの」っていうシチュエーションを、絶対に逃がさない。むしろ、率先して作る。


 空手だのキックボクシングだのってのは、一番のカモだった。手の内が読める上に、「自分は組まれた時の対策はありません」って言ってくれてる訳だからね。ジャンケンで言えば後出しで勝てる。

 柔道になってくるとちょっと厄介だ。人間、訓練しないと投げは使えないけど、ぶん殴ったり蹴ったりは本能的に出来るから、攻撃と防御に幅がある。

 ただ、組技の遣い手の場合、殴られなれてない、気の弱い奴なら、効いても効かなくても顔面、とくに目を狙って殴りつけるとペースが掴めたかな。

 掴まれたら、受身を取ってワザと投げられるのも手だった。柔道の投げってのは、終わった時には投げた方が背中を取られてる形になる事が多い。そのまま後ろから攻撃が出来た。

 加えて言うと、柔道では後ろからの攻撃に対して防御が無い。あるのは唯一、カメになる事だけ。つまり、攻め手からするととんだ無防備である訳だ。


 これが、スポーツ化された格闘技の弱点だ。自分から背中を向ける。そして、そのまま無抵抗になる習慣を、普段からつけている訳だ。

 後ろを取ったら、耳や目、鼻を中心に五感を奪ってゆく。ゆっくり時間をかけて追い込む事で相手は精神的に追い詰められてゆくから、こっちは丁寧に攻めていけばいい。

 組んでくる相手にはこのパターン、打ってくる相手には組む。このどちらかで、大抵の相手には勝てた。それはもう、判で押したみたいに。これが武術でいう処の定石って奴だった。


 では、次回では、このパターンが揺らいでしまった時の事を話そう。

(※2004年2月4日分より転載)
posted by 久遠 at 02:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年01月22日

アウトロー交戦記 第一回(寄稿:前原龍彦)

 さて、私が始末屋になった経緯は前回でも話したけど、やっぱり押し出しの良さと腕っ節ってのが影響した部分は大きい思う。今回話してみようと思うのは、その腕っ節、つまり、実際の喧嘩の部分だ。


 顔面初段って言葉が武道の世界にはあるけど、これは顔が怖いと言う事は、初段くらいの戦力になるって事。俗に人を一人殺せる実力が初段なんて言うんだから、顔だけで殺せるってのは相当な顔面だ。

 悲しい事に私の場合、その顔面破壊力がかなりあったらしい。道場でもそうだったし、路上に移ってもそうだった。


 ウチの古流の考え方では、殺法に乱暴さは必要無い。優雅であり、雅やかである事こそが実戦においては大事だって事。

 勘違いしてもらっちゃ困るのは、華法重視の型武術って意味じゃない。本当に人を倒そうと思ったら、「殺すぞ」なんて言う威圧や、ましてや「やんのか?」なんて確認を取ったりするのは愚の骨頂って事。

 必要なら散々謝っておいて、相手が背中向けてからレンガでぶん殴ったっていいんだから。

 我々武術家に必要なのは、「ニッコリ笑って人を斬る」な精神って訳だ。幕末の思想家清川八郎は剣の達人だったんだけど、「清川先生こんにちわ」と挨拶され、頭を下げたところを切られたらしい。彼が学んでいたのが竹刀撃ちの遊戯化された流派だったと言われてしまう由縁だろう。

 殺す相手に対して向けられる微笑こそが武功の一歩、かくなる上でウチの流派の人間は、技を掛けられてもダウンするほど殴られても、引きつった微笑みを浮かべる事になるのだ。


 私の戦いを見る事が多いツレは、今となっては私が悪い事をする時、前もって分かると言う。サイコっぽい微笑みを浮かべるからだそうだ。

 殴られても蹴られても笑顔、これが強力な武器になるんだ。


 さて、次は、そんな微笑みを浮かべて戦った経験を話してみよう。

(※2004年1月29日分より転載)
posted by 久遠 at 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年01月20日

アウトロー見聞録 第二回(寄稿:前原龍彦)

 あるアウトローの最後

 前回では、私がアウトロー、始末屋になった過程を語るという形で終わったが、本当にそれはささいなことだったのだ。

 昔から私は、どこか反社会的な所があった。暴力沙汰で高校はドロップアウトした。そんなころ、あるバイト先の友人が言ったんだ。

「ちょっとヤバイ話なんだけど、オレの代わりに電話をして欲しいんだ」

 それが、彼女を寝取った話なのか、それとも借金がらみなのか、私には分からない。ただ、仲間の頼みだから請け負った。

 侠、という言葉がある。「法に照らしあわすと正しくないが、自分が信じた正しい事に生きる人」くらいの意味だ。義侠心って言葉もある。私にあったのはそれだった。

 得てして、それが過ちの始まりなのだ。ただ知り合いのために尽くしたいという気持につけこまれて、私達は破滅してゆく。


 私はその後、柔術の道場を開き、色々な大会に弟子を出場させてた。それもまた、一つのきっかけだった。

 格闘技の道場やジムが、実力を認められると、必ず怪しげな人間が接近してくる。逆に言うと、そういう輩がいる事が実力の証なのかもしれない。

「こいつら、喧嘩で使える」

 そう思うとそっち筋の人間が近づいてくる。大手武道団体に必ず右翼が付いているのも、そういう事だと思っている。うちの場合は、練習生としてだった。

 その人は自称アソビ人で、稽古に顔を出してもほとんど体は動かさない。なのに、私的にはひどく接近してきて、やたら師範や高弟たちと仲良くなりたがる。

 そして飲みに誘い出しては、行きつけの店とやらに連れて行くのだ。

 ここがポイントだ。行った先の店では、密やかなオーディションが行なわれている。店を仕切る人間が、こいつは使える人間かどうかと値踏みしているのだ。


 私の高弟を例に出すなら、最初のテストは「迷惑な客」だった。

「酔っ払ったお客が、勘定を踏み倒そうとしてるんですよ。どうも性質の悪い人らしくて怖いわ」

 そんな言葉が、連れて行かれた先のママから聞かされる。呑まされていい気になっているウチの弟子は、「義を見てせざるは勇無きなり」とばかりに、その客に向かっていき、腕づくでも勘定を払わさせる事となる。それがボッタクリの店であるとも気づかないで。

 そうことして「いいこと」をしたい弟子は、「バイトしませんか?」という言葉に乗せられる。あるいは「タダにするんで、毎日呑みに来てくださいよ、怖いお客が多くって」ってな言葉に乗せられて。

 彼はそのまま、自分では気付かないけど「脅迫者」になってゆく。ボッタクリの店だと知らないまま。


 ウチの弟子の場合、最後には気が付いてしまった。ホステスの外国人女性に払っている金額も、言いがかり的に少ない金額だ。みんな暮らして行くのが精一杯と泣いている。

 そして、彼はとうとう、まっとうなことをなしてしまった。ホステスたちに、募集時に提示された金額を払ってしまったのだ。紹介費やらペナルティやらの名目で、それまでは彼女たちの給料は大幅に引かれていたからね。

 レジの中の金をホステス達にばらまいて、彼は店を止めた。

 でも、それは終わりじゃなかった。いつまでもしつこく、彼は店が雇ったヤクザ者に追われた。一人二人は返り討ちにしたけど、最後には、明らかなクズレが手配されたって訳さ。


 まったく、ひどいもんさ。

(※2004年1月20日分より転載)
posted by 久遠 at 00:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信

2005年01月17日

アウトロー見聞録 第一回(寄稿:前原龍彦)

 人はいかにしてアウトローになるのか?

 よく、黒塗りの車に乗ってスーツを着たようなコワモテを、ヤクザ、という。十羽一絡げにヤクザというけれど、細かく言うとバッジをもってるのがヤクザで、もっていないのはやくざでは無い。

 もしかしたらあなたが借金を返済しかねた時、誰かがドアを叩くかもしれない。あるいは、ぼったくりの店で払いシブって「持ち合わせが無い」と言ったとき、「じゃあ、ウチのお店の人が一緒にコンビニまで行くから」とホステスが言うなり、奥から怖いお兄さんが出てくるかもしれない。

 耳はつぶれ、鼻はゆがみ、肩幅が広く、何より目つきが下から睨みつけてくるよう。あちこちにキンキラの悪趣味なセンスを見せているけど、どこか貧乏くさそうな印象がある。それが始末屋だ。


 始末屋はきちんと構成員としてどこかの組織に属している訳ではない。でも、もっとも危険だったり面倒だったりする現場に出動して、シノギを削っている。稼いだ金は組織に回り、怪我や恨みは引き受ける。売るものといえば体力と勢いばかりで、将来どころか明日の生活も見えない。そんなみじめな始末屋だったことが、私にはある。

 おおよそ始末屋というのは、地元の暴走族の人間や、悪い仲間の紹介で入った見所のある人間、そして最後に、格闘技や武道で食えず、身を持ち崩した人間が多い。

 この、最後のタイプを俗にクズレと言う。語源は江戸時代の侠客(今でいうヤクザですな)たちの中に、相撲捕りから身を持ち崩した者が多かったからだそうだ。

 このタイプで最も多いのは自衛官。そしてボクサーだ。世界チャンピオンを何人も出している大手ボクシングジムは、大手宝石店と同時に、ソープランドのチェーンでも知られている。男も女も体が資本って事だろうか?


 そんな裏社会に精通したジムには、大体「遊び人」のような人間が練習するでもなく出入りしている。そして、将来有望な選手を飲みに誘っては、悪いところに面通しするって訳だ。

 チャンピオンのT選手が、昔暴力事件を起こしたのを覚えているだろうか? 会見で彼は「友人が金を貸していた相手が、返さないというので付き合って行った」と言っていた。

 この時の彼が、まさに始末屋、「ボクサークズレ」になっていたという訳だ。


 では、次回以降、私自身の経歴を描いてみようと思う。

(※2004年1月10日分より転載)
posted by 久遠 at 23:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。