これは流石に申し訳ないと思い、今日、取材をしてきました。ある韓国人男性(兵役済み)に、向こう式の喧嘩の仕方を訊いてきました。
基本は顔面パンチで、タイマンという風習は無いそうで。基本的に、団体戦で、相手が半殺しなって、誰かが止めに入るまでやるという。やはり、面子を重んじているからだろうか?
武器は使わない。テコンドの影響か、足は使うが頭突きはあまり使わない。武器も普通はあまり使わない。
面白いのが、眼鏡をかけてる奴は殴らないそうだ。それは、眼鏡が無くなれば、物が見えないため、殺したのと同じ事になるからだ、という。へー。
喧嘩というのは、国民性が出るものだと思う。例えば、日本ではグーパンを顔に放つ事がタブー視されている。私の兄弟分も、凄まじい左が得意だったが、どうしても当てる際に抵抗感がぬぐえないと言う。
グーよりパー。それよりもつかみや投げを多く用いるのは、やはり独特なのではないだろうか? 「いきなり喧嘩で殴りかかってくるような奴はいない」と思ってる喧嘩好きは、意外に多い。まずは襟首の掴み合いからがエチケットだと思っている人たちだ。
ただこれはあくまで日本人同士の話で、アメリカ人などはグーパンよりパーをタブー視する。上から見下した、侮辱の攻撃だと言うわけだ。
また、日本人にとっては挨拶代わりの、首絞めも嫌う。つまり、「本当に殺す」という恐れがあるからのようだ。縛り首という風習のためだろうか? 一度、道場破りに行ったアメリカのジムで、裸絞めにて勝利したところ、「お前、首絞めるなよ」と言われた事がある。
また、投げ技に関しても、信仰が強い。日本人がボクサーを不良的と感じるように、彼等はレスラーや、フットボール選手のような人を、不良的、暴力的と感じるようなのだ。
私見だが、これはローマ帝国よりの影響ではないだろうか?
つまり、ローマ文明の伝播により、ヨーロッパでは早くから道が舗装されてきた。そこでレスリングを使われれば、要は石でぶん殴られるのと同じな訳だ。
逆に、泥道だった日本では、相手にアザをこしらえる当身ではなく、転ばせるだけの投げ技が重視されたのではなかろうか?
また、視界の問題も考えられる。足場が悪く、開けた空間の少ない日本では、突発的な喧嘩は狭い場所で行われる事も多かったろう。居合などが発生したのもその辺の影響があるのではなかろうか。
対して、ヨーロッパなどでは飛び道具が盛んだった。不思議な事に、日本では「飛び道具は卑怯ナリ」と言って、手裏剣術にも刀と同じ間合いで使うべしという教えがあるんだよね。
実に興味深いお話だと思う。