2005年01月26日

アウトロー交戦記 第二回(寄稿:前原龍彦)

 幼少の頃から、空手に親しんできた私だったけど、ある日、競技化された空手に漠然と疑問を抱くようになった。俗に寸止めと言われるルールではスピードが重視されるけれど、それでは本当の強さが分からないだろうと思った。

 自分よりずっと小さい子供に、手先でヒョイっと軽い突きを受けても、本当に負けるだろうか? 自分よりデカイのに対して、本当に自分の正拳は利くのだろうか? 子供なりの真実への目覚めって処だ。

 その後、幾つかの流派の柔術や拳法、格闘技を学んでいったのも、真実への探究心がさせたことだった。

 柔術が一番実戦的である、と思ったのは20と少しの頃だ。ただし、これには幾つかの条件が付く。

1・実戦的な修行を怠らない事。
2・技術を理論的に研究し続ける事。
3・実践していない事を信じないこと。

 この三つは、多くの武術や格闘技に欠けている部分だから、それを守れば実践的になるのは当然だったかもしれない。ただ、投げや当身という特定の技術にかたよらず、武器から活法に至るまでを内包している柔術というのは、上記の三つを行ないやすかったとは思う。

 また、スポーツされていないのもいい所だった。試合に勝とうという目先の意識がないため、実戦の事だけを考えられたからだ。相手が自分より大きかったら、数が多かったら、そして何より、自分とは全く違う流派の遣い手だったら、という事を追求できる。

 では、そのスポーツ化されていない柔術で、どうやって実戦経験を積むか。するんだよ、実戦を。

 ありていなパターンは、お互いに腕に憶えのある人間同士出あったケースだ。「ちょっと試してみようじゃないの」っていうシチュエーションを、絶対に逃がさない。むしろ、率先して作る。


 空手だのキックボクシングだのってのは、一番のカモだった。手の内が読める上に、「自分は組まれた時の対策はありません」って言ってくれてる訳だからね。ジャンケンで言えば後出しで勝てる。

 柔道になってくるとちょっと厄介だ。人間、訓練しないと投げは使えないけど、ぶん殴ったり蹴ったりは本能的に出来るから、攻撃と防御に幅がある。

 ただ、組技の遣い手の場合、殴られなれてない、気の弱い奴なら、効いても効かなくても顔面、とくに目を狙って殴りつけるとペースが掴めたかな。

 掴まれたら、受身を取ってワザと投げられるのも手だった。柔道の投げってのは、終わった時には投げた方が背中を取られてる形になる事が多い。そのまま後ろから攻撃が出来た。

 加えて言うと、柔道では後ろからの攻撃に対して防御が無い。あるのは唯一、カメになる事だけ。つまり、攻め手からするととんだ無防備である訳だ。


 これが、スポーツ化された格闘技の弱点だ。自分から背中を向ける。そして、そのまま無抵抗になる習慣を、普段からつけている訳だ。

 後ろを取ったら、耳や目、鼻を中心に五感を奪ってゆく。ゆっくり時間をかけて追い込む事で相手は精神的に追い詰められてゆくから、こっちは丁寧に攻めていけばいい。

 組んでくる相手にはこのパターン、打ってくる相手には組む。このどちらかで、大抵の相手には勝てた。それはもう、判で押したみたいに。これが武術でいう処の定石って奴だった。


 では、次回では、このパターンが揺らいでしまった時の事を話そう。

(※2004年2月4日分より転載)
posted by 久遠 at 02:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信
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