2005年02月15日

アウトロー通信号外(寄稿:前原龍彦)

 さて、恐れていた事が現実になってしまった。寝屋川の教諭連続襲撃事件の事だ。

 まず、このサイト内の。私の寄稿を見て欲しい。

アウトロー見聞禄 第三回

 すでに、この手の事件に関しては、ずいぶん前から発生が予測されていたはずだ。

 報道をによると、少年は正面から学校に侵入、男性教諭を一人襲撃、ついで職員室に向かい、そこで女性を二人襲撃。その後、窓辺でタバコを吸っている処を、110番通報で駆けつけた警官に捕捉されたという。

 現在、多くの番組や記事で、動機や社会の歪みが取り上げられている。根本的な解明は必要不可欠だろう。

 だが、私は、食うか食われるかの現場の人間。一アウトローとして思わざるを得ない。

 一体、捕捉までの間、他の職員は何をしていたのだろうか? 自分のホームで、明確な侵略行為が行われている間、大の大人が指を咥えて警察を待っていたのだろうか?

 不信感を隠し切れない。子供たちを預かり、その後の人生に重要である教育を担当する人間が、そんな事でいいのだろうか?


 人間は、口頭よりも行動に真実が宿ると思う。彼ら小学校教員たちは、今回、身をもって何を教育してしまったのだろうか? 緊急事態にはボサッと無抵抗になりなさい? 

 ぶっちゃけ、学校は無力感を叩き込む場所だ。その真価が明確になったというべきだろう。

 職員室なら、いくらでも投げるべき椅子や、捲きかける消火器があっただろう。それが、目の前の、包丁を持った子供に無抵抗だったのだ。

 そんな事だから、ぶちきれた子供が、たかが調理器具一つ持っただけで、一時的にでも万能感を満たせると勘違いするのだ。


 確かに、今の世の中は、いかに金を稼ぎ、体裁をつくろうかが全てと言ってもいい。人間の本質や、誠意、心胆などは、社会生活において邪魔にしかならない。

 そう言った思想は、全て小学校から刷り込まれ始める。

 生命体として、それっておかしくないか? まず生きる事。そのための基礎的な事が、あまりにもおざなりになっている。

 腰抜けの口先人間が、どれだけ器用に立ち居振舞っても、緊急事態にはなんの役にもたたない。

 だからこそ、我々のような暴力の専門家が世の中に寄生しているのだが、よく考えて欲しい。本当に生きるってのはどういう事なのか。


 どんな偉そうな人間も、気取った人間も、ステータスがある人間も、我々に締め上げられると、金切り声をだし、土下座し、頼むから許してくれと泣き叫ぶ。まるで乳幼児だ。

 我々だって、法の犯し方がある。拘束して監禁の上の行為ではない。相手が暴れて走れば逃げられるのに、それより土下座を選ぶのだ。

 そういう人間ばかりを量産する社会。もう一度よく考えて欲しい。


 一人一人と社会の空虚さが、こういう事件の発生と無関係ではあるまい。
posted by 久遠 at 14:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | アウトロー通信
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